とうとう来る時が来た…?    親不孝息子が綴る介護日記


by 1po2ho3bo
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貴重な体験

今から6年ほど前のこと…
福祉の仕事に転職し2ヶ月ほど経った時のことだった。

出勤の準備を始めていた時、急な腹痛に襲われた。
痛みはすぐに激痛に変わり、我慢の域を通り越し「痛い!」と喘ぐ言葉さえ発することができなかった。
親が救急車を呼んだ…
父親が救急車に同乗したのを覚えている。

頭の中では…
「ようやく採用になったばかりなのに…」
両親には「会社に連絡を入れておいてくれ」と一言だけ言い残した。

虚ろな記憶の中に残っているのは…
I病院へ搬送され何等かの検査をされた後に、K大学病院へと再び搬送された。
揺れる救急車に傷みが極限に至ったことだけ。

K大学病院に搬送された後の記憶はほとんど残っていない…



病名は「十二指腸穿孔」。
腹膜炎を起こしたための激痛だった。

5日間程だっただろうか…
集中治療室での治療が続いていた。

点滴を打って痛みに耐え続ける日々…
昼か夜も分からない…
持続していた激痛は弱まったものの、周期的に襲ってくる激痛…
手足を動かすことも、増してや寝返りなどは決してできない…

「何かあったらナースコールを押してください」と伝えられたが…
痛みに耐えかねてコールをしても処置の仕様がなかったのか、これ以上痛み止めを投与できなかったのかは分からないが、何等痛みの変化はなかった。
以降、諦めの心境でナースコールを押すことはほとんどなくなった。

病室の白い天井を眺めるか寝るだけの毎日が続いた。

ICUを出て一般病棟に移るも痛みは時折襲ってくる。
入院して2週間ほどは点滴だけの日々。
食事も水も一切口にはできないが、不思議と喉も渇かずお腹も空かない。

それから…
一般病棟に移り少しばかり余裕ができた時にオムツ着用と尿道カテーテルを挿入されていたことを知った。

この時の楽しみと言えば…

同室者達の食事の香りを嗅いだり、食べる姿を見ること。
面会や同室の患者さんとの会話。
そして唯一口にできるものと言えば、モーニングケアの歯磨き粉。
味わうものではないが、唯一味わうことができるものは歯磨き粉しかなかった。

退院の1週間前から食事が出た。
重湯から始まり、三分粥、五分粥… と徐々に普通の食事が食べられることに豪く喜びを感じた。

また、この頃から座位訓練や歩行訓練」も少しずつ始めた。
2週間ほど寝込むと座位すらもとれないことに驚いた。

そんな訳で移動は車椅子に介助付き、歩けるようになったのは退院直前の頃だった。

当時の入院では様々な体験をした。
まるで、福祉の世界に足を踏み入れた僕に対しての洗礼のような時間だった。

普通の生活が送れることの素晴らしさを知った。
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by 1po2ho3bo | 2008-09-02 20:52