家族の思い
2008年 11月 06日
特養で働いているとこんなことがある…
それは、クライアントのADLとご家族の要望が乖離していること。。。
ご家族にとってみれば、まだまだ私の親は「できる」と思われている。
しかし、日常を見ている私たちにとって、それは困難とリスクが大いに伴なう。
時には、多少のリスクを伴なってでもご家族やご本人の要望に沿うような援助も試みることもあるのだが。。。
しかし、乖離の度合いによっては、当然プロとしてご家族へご理解を求めることもある。
ご家族としては、分かっていても…
他人である我々から言われたくない、認めたくないという気持ちがあることも理解できる。
介護職の自分とで人の子であり親もある。
自分の親が認知症だろうと判っていても、いざ医者から宣告されると落胆してしまったことが昨日のことのように思い出される。
解っていても聞きたくないこと、受け入れたくないこと…
そんな思いがあるのも事実。
それからこんなこともあった。
以前から特養の入居を申し込んでいて、ようやく入居に辿り着いたご家族がいた。
その娘さんは入居した時に涙をしていた。
在宅介護から解き放たれたホッとした気持ちと同時に、施設に移した後ろめたさからなのだろう、
その光景も忘れられない。
複雑な思いが交錯する…
それが家族介護というもの。
それは、クライアントのADLとご家族の要望が乖離していること。。。
ご家族にとってみれば、まだまだ私の親は「できる」と思われている。
しかし、日常を見ている私たちにとって、それは困難とリスクが大いに伴なう。
時には、多少のリスクを伴なってでもご家族やご本人の要望に沿うような援助も試みることもあるのだが。。。
しかし、乖離の度合いによっては、当然プロとしてご家族へご理解を求めることもある。
ご家族としては、分かっていても…
他人である我々から言われたくない、認めたくないという気持ちがあることも理解できる。
介護職の自分とで人の子であり親もある。
自分の親が認知症だろうと判っていても、いざ医者から宣告されると落胆してしまったことが昨日のことのように思い出される。
解っていても聞きたくないこと、受け入れたくないこと…
そんな思いがあるのも事実。
それからこんなこともあった。
以前から特養の入居を申し込んでいて、ようやく入居に辿り着いたご家族がいた。
その娘さんは入居した時に涙をしていた。
在宅介護から解き放たれたホッとした気持ちと同時に、施設に移した後ろめたさからなのだろう、
その光景も忘れられない。
複雑な思いが交錯する…
それが家族介護というもの。
by 1po2ho3bo
| 2008-11-06 19:08
| 介護